即位礼正殿の儀とは?

今年5月1日に平成から令和へと元号が移りました。
そして10月22日には天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われます。
即位礼正殿の儀は、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式なのです。

この行事は、皇居宮殿・正殿松の間で行われます。このことは外国で言えば、戴冠式や即位式に当たるということなんだそうです。

1990 (平成2) 年11月12日、第125代天皇明仁が即位された際に行なわれた即位の礼の中心儀式を「即位礼正殿の儀」と定められましたが、その時も今回同様この年限りの祝日だったのですね。

即位礼正殿の儀はどんなふうに行われるのでしょう?

かつての天皇の即位礼は京都で行われていました。明治天皇~昭和天皇までは「即位礼紫宸殿の儀」といわれる儀式でした。

特に国外においては国家元首、あるいは首脳が参列する一大行事になります。参列者は正殿に相対する長和殿の春秋の間に着席します。中庭には仮設ステージが建てられます。春秋の間に入室できなかった出席者の分の席も確保して、参列された方々が全員儀式を見られるようにしたのだということです。

正殿中央には階段が設置されます。中庭には幡旗が立てられて、文官武官の装束を身につけた総理府(現在の内閣府)、宮内庁職員の皆さんが「威儀物捧持者」として整列します。正殿松の間には高御座、御帳台が設えられます。男性皇族 (皇太子・親王) と三権の長 (内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官) らは高御座左側に、女性皇族 (親王妃・内親王) が御帳台右側に並ばれます。

憲法での規定によると、日本国憲法第1章で天皇の即位の礼については特に言及はありませんが、国事行為として挙行されることは決まっています。即位の礼は、皇室典範第二十四条に「皇位の継承があったときは即位の礼を行う」と規定されています。第125代天皇明仁の即位礼正殿の儀当日は「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」によって国民の休日になりました。

2019 (令和元) 年10月22日に、第126代天皇徳仁の即位礼正殿の儀が行われることが決まっています。この日は「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」に従って国民の休日になる措置がとられることになっていて、天皇即位のために休日になるという法律があることに少し驚きました。そういうことも法律で決まるんだ、という驚きです。

そして特に何か変わったことをやるわけではなさそうで、ただ即位したことを国の内外に宣明されるということだけなの? と疑問に思ってしまいました。

忙しい諸外国の国家元首や首相たちが時間を取って極東まで来られるということに驚いていますが、これは日本が招待するものなのでしょうか?
また、この日はテレビ番組もこの即位礼を放映されるでしょうね? どんなことが行われるのか、興味が沸いてきました。

厳かな儀式になりそうですね

式次第
三権の長、皇族、天皇、皇后の順に正殿松の間に参入します。
天皇、皇后が高御座、御帳台に昇られます。
参列者が鉦の合図により起立し、高御座、御帳台の帳が開けられます。
参列者が鼓の合図により敬礼します。
内閣総理大臣が御前に参進します。
天皇の「おことば」があります。
内閣総理大臣が寿詞を述ます。
内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱し、参列者が唱和します。自衛隊により、21発の礼砲がうたれます。
内閣総理大臣が所定の位置に戻ります。
参列者が鉦の合図により着席し、高御座、御帳台の帳が閉められます。
天皇、皇后が高御座、御帳台から降りられます。
天皇、皇后、皇族、三権の長の順に退出して儀式は終わります。

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出典:Wikipedia

明治天皇の即位礼の際に礼服が廃止されたということです。何か事情でもあったのでしょうか? 以来即位礼では和風の装束が用いられています。これを「御装束」というのだそうです。

天皇:束帯黄櫨染御袍に立纓御冠を着用し、笏を持たれます。
皇后:唐衣裳装束の着用。唐衣は白系統、表着は緑系統。(皇后の料は、古くは赤色や青色の織物が多いが、後深草天皇即位の時、母后は白唐衣を用いられたようです。また立后のときは唐衣と表着に白を用いるのが平安中期以降の慣例になり、これらを参照して大正以降即位の礼の皇后の料は白唐衣に緑系統の表着という組み合わせに固定化したようですね)髪型は御垂髪(おすべらかし)で平額を付けます。桧扇を持たれます。
男性皇族:束帯黒色袍に垂纓冠を着用します。皇嗣のみ黄丹御袍を着られる予定です。笏を持たれます。

威儀物奉持者:束帯緋色袍または黒色袍に垂纓冠または巻纓冠を着用します。
女性皇族:唐衣裳装束。唐衣は紫。桧扇を持たれます。
三権の長:洋装礼服(燕尾服)。昭和天皇の即位礼の際は田中義一内閣総理大臣は黒色袍の束帯であったが、平成の儀式では洋装が採用されました。
明治天皇より前の天皇の即位の礼では、主に大極殿が、これが焼失してからは紫宸殿が舞台であった。事情により大極殿があっても紫宸殿や豊楽殿、太政官庁で行われたことがあります。唐風の装束で、皇族・貴族は礼冠に礼服で、天皇は冕冠に袞衣を着用されました。

出典:Wikipedia

高御座・御帳台 天皇の「おことば」

「さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」
30年前の平成に元号が移った時に、現上皇陛下が即位に際して話されたお言葉です。

平成時代の上皇明仁の即位礼正殿の儀では、高御座と御帳台が京都御所紫宸殿から皇居まで運ばれて使用されました。びっくりですね。松の間中央に高御座、正殿向かって右に御帳台が作られました。このことに関し、春先には秋篠宮様が「たった1日のために高い費用を使う必要はないのでは?」と提案されたことはつとに有名な話です。

天皇が即位されたときのみ使うものだというのであれば、確かに何とか高い費用を使わずに済む方向で努めていただきたいですよね。

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まとめ

天皇が即位され、近頃はお元気そうな雅子様の姿をテレビを通して拝見することも多くなったような気がします。

まだまだ雅子様はご療養中という話なんですね。テレビを通してそのように話す解説の方もいます。完治しておられる訳ではないのだそうで、ご無理をせずにお元気で公務を遂行されることを祈ります。

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