重陽の節句って? 五節句の締めくくりとは?

菊の花イラスト

1月7日の人日(じんじつ)の節句から始まって、3月3日の上巳(じょうし)の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、そして、9月9日の重陽の節句。くんちとも言われています。

九州の○○くんちというお祭りは重陽の節句と同時期に行われるので、くんちは9日からとか、収穫物を神にお供えする日から来たという説もあります。
これは九州独特のお祭りで、九州地方ではたくさんお祭りが開催されるんですね。有名な長崎くんちとか、唐津くんちなど。

こう書いてくると何となく、数字遊びにも見えてくるけれど、まあ、1月7日は別として。

1月7日は七草粥を食べるということですね。1年の息災を願ってお正月からの飲みすぎ、食べすぎを戒める? みたいな。子どものころにそう聞いたことがあったなぁ。

重陽の節句って何を祝うの?
いつごろから始まったの?

重陽の節句は五節句の締めくくりなどと言いますが、だいたい、重陽の節句って何? という人の方が多いかも。あまり馴染みがないんですよね。

重陽そのものが、9月9日のことなんです。

また、菊の花が咲く頃なので、菊の節句とも言われています。

Wikipediaでは、「陰陽思想では、奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから『重陽』と呼ばれる」とあります。

9は一桁の最後の数字で、つまり、最大の陽で、しかも9日はそれが重なる、陽の気が強すぎるということから不吉とされたのですね。(出典:Wikipedia)

結局、この節句は後に吉祥とする考えに転じて、祝いごとになったそうです。何だか、人間の都合に合わせたような解釈ですね。

いずれにしても、健康長寿を祝って菊を愛で、菊の花びらを浮かべたお酒を酌み交わす、などということが続いてきたのです。

詳しい文献は多くは伝わっていないらしいのですが、健康長寿を願うのはいつの時代も同じですよね。

一説では、奈良時代から菊を観賞する宴が行なわれていたとのこと。菊の花の起源も知りたくなってしまいます。

菊は、中国が原産地だそうで、3000年の歴史があるというから驚きです。
遣唐使から伝わったという説もあります。

宮中ではそんな古くから菊が咲き、それを愛でるということがあったのですね。菊は愛でるだけではなく薬用にも使われていたし、食用もありますよね。

菊、と聞けばお供えに使われることが多いので、あまり華やかさは感じていなかったのですが、見方が変わってしまいます。

中国では菊の花は珍重されていて、古い文献や書物にも菊を紹介したものがあります。
菊の花に長生きの効果があると信じられているからです。

正確かどうかははっきりしませんが、中国から伝わってきたのは平安時代だそうで、初めて菊の名前が載ったのは、平安時代の歴史書『類聚国史(るいじゅこくし)』という本でした。

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この時代の人々は、健康長寿を願っていたのでしょうか?

静かに菊を愛でる習慣は宮中や寺院などが主でしたが、江戸時代には庶民の知るところとなり、花もいろいろ品種改良されて、重陽の節句には最も人気の高い花になったそうで、菊や菊を植える花壇にもいろいろな工夫を凝らして、たくさんの人に鑑賞して貰うことになったんですね。

余談ですが、菊人形は江戸時代後期に出現して多くの人たちが競い合ったそうですが、これは重陽の節句の影響は受けているのでしょうか?

五節句の締めくくりということには納得しました。

重陽の節句でお祝いする健康長寿?

さつまいもご飯

お祝いごとには美味しい物がありますよね。

秋の収穫期ですから、出てくる献立は特に菊を使ったものがあります。

菊の花のおひたし、酢漬け、てんぷら、和え物、菊と三つ葉のあんかけ、さつまいもご飯。
いやいや、調べて見たら、たくさんのレシピがありました。

そして、菊を使ってアレンジレシピを作る人ってたくさんいらっしゃるんだ! とほとほと感心してしまいました。

魚料理に添えたり、お肉も同じですね。菊を食べる習慣がなかった私などは人生損した気分! おかあさ~ん!

仕方のないことなんですけどね。母は勝手に家族はこれは嫌いだろうと決めつけるところがあったのです。
家族が食べないものは作らない、というスタンスでした。今思えば、ちょっと相談してくれてもよかったのに・・。

栗の季節でもある秋ですから当然、栗ご飯。一説には栗の節句とも言われています。

秋ナスもありますね。ナスもレシピはたくさんありますよね。

私もちょっと食用菊のコーナーを見て回ろうと思います。

秋口に、その時期に採れたものは何でも新鮮だから、美味しい物はたくさんあります。
そんなお料理が並んで、家族皆で健康長寿をお祝いする重陽の節句。
見直して見ませんか?

まとめ

重陽の節句、言葉は聞いていて昔から知っていました。ただ興味が沸かなかったし、実家にはそんな習慣がなかったのですね。

ただ、漠然と、他の四節句と違ってお祝いごとという認識がありませんでした。

古き時代を振り返る、ってことをもっと大事にしていかなければなりませんよね。
それが親から子へ伝える義務だという気もしています。

ただ、調べて見ると奈良時代とか平安時代からとか諸説ありますので、いつか図書館へ行ってちゃんと専門家の著書などを借りて読んでみようと思っています。思いがけず興味が沸いてしまったので(笑)。

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