4月14日「ポツンと一軒家」日本全国大捜索! ポツンの数だけドラマがある

「ポツンと一軒家」毎週日曜よる7時58分から放送

◆番組内容
各地の遠隔地域にある一軒家。どんな人がどんな理由でそこに住んでいるのか!?

衛星画像を手がかりとして、地元の人々からの情報をもとに、住まいの実態を徹底的に調べながら、人里離れた場所で暮らす人々の人生や生活に近づきます。

MCの所ジョージさんと、パネラーの林修さんが1枚の衛星写真からどんな人が住んでいるかを考える番組です。

ゲストは俳優の高橋一世さんと元新体操日本代表でタレントの畠山愛理さん。

「山に住むのは憧れだけど、自給自足の生活をするのはとても難しいと思う」と山への憧れを語る高橋さん。

一方、畠山さんは「自然はとても好きだけど、携帯電話の電波が接続できないのではないかと心配」と話していたが、林修さんから、今はどこに行っても電波はつながりますよ」と教えられると、「そしたら行けるかもしれない!」と山の暮らしに興味を持ったようだ。

今回のポツンと一軒家は?

愛媛県 ポツンと一軒家

愛媛県中部周辺の山頂に大きな家を見つけました。場所に関しては、所さんは「その畑もきれいで、充実した老後生活を送っていると感じますね」と第一印象を述べています。

高橋さんもまた、「田畑がしっかりしていて、最高の田舎暮らしを想像することができます」と言う。畠山さんは「自然の良さを感じることができるような場所」として共感しながらVTRを見ている。

捜索隊が「いい場所だ」と言っている牧歌的な田園風景から丘の上の最も近い村へいって、この地域の山に慣れている人から話を聞いて、その一軒家への詳しい道筋を教えて貰いました。すでにここは標高約400mなのですが、ここからさらに約800m登ったところの赤い車が目印です、という。

道はかなり悪くて、急峻で狭い山道を登り続けます。捜索隊ははたして、この先に家があるのかどうか疑わしくなってきていたのですが、山が開けた先に屋根の立派な家を発見しました!

そこには煙突工事の作業をしている2人の人がいました。そして、捜索隊は築150年の古民家を舞台にした驚くべき物語に遭遇しましたよ。

所さんはその物語に驚き、林さんもこれまでになかった初めての展開だったと語った。

ゲストの高橋さん、畠山さんもほっと暖かい気持ちになったようだ。

香川県 ポツンと一軒家

香川県北東部の深い山の中に、開拓された場所にある一軒家を見つけました。所さんは「これは本格的な畑ですよ。畝もきちんと作られているのが見えますね」と言う。

「香川ならうどんかな」と、畠山さんが言うと、林さんは「小麦農家ではないかな」と核心をついたことを言っている。

捜索隊が最寄りの村で話を聞いたら、「その地域になじみのある畳屋さん」を紹介されました。畳店では「ポツンと一軒家」という番組名を聞いたとたんに「ここではないかな」と、心当たりがあるようだ。

実は今日、ひょっとしたら、「ポツンと一軒家」の取材がくるんでないか? と話していたといって、捜索隊が来るような気がしていたという!?

話によると、80代のご夫婦が一軒家に住んでいるそう。

80歳代のご夫婦が畑をとてもきれいにしているという。スタジオではこの情報に驚いた。

捜索隊は、教えられた通り、木々の切れ間のない深い森へと続く山道を進みます。

へ私たちは野生の食べ放題の山道を進むことにします。

本当に先へ行けるのか不安になるような荒れた道を進んでいきます。

そして、その先にあったのは、棚田を見渡すことができるように建っている大きな一軒家でした。

そこの住人にお話を聞くと、「ウチのように近所からそれほど遠くない場所には来ないと言っていました。車で家に帰ることができますからね」と彼らは言った。一軒家に住んでいるという意識はないようです。それで、衛星写真を確認してもらうことに。

高橋さんは、一軒家に隠されたストーリーに感銘を受けたようだ。

「本当にグッときましたね。気持ちがあたたかくなる番組ですね」。

畠山さんは、「感動しました。そんな夫婦になりたいと思いました」と語り、農村生活への憧れを一層強くしたようです。

外部リンク> ポツンと一軒家 4月14日

◆出演者の方々

MC 所ジョージ
パネラー 林修
ゲスト 高橋一生
    畠山愛里
ナレーション キートン山田 小山茉美

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追 記

愛媛県のポツンと一軒家

衛星写真に写る大小2棟の建物を目指して捜索隊は進んでいきました。

村の入り口に藁で出来た何か大きなものが吊されている。

聞けば、元々は大きな草鞋を村の入り口に吊して、村に大男がいると思わせ、禍を退散させるという伝統的なお守りなんだそう。

聞き込みで得た情報では、今日目印の赤い車が通ったのを見たという。
じゃあ、在宅しているねということで、訪ねて行くことになった。

さて、その家に辿り着いた捜索隊はそこにいた2人の男性からお話を聞きました。

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2人はご兄弟で、定年後に1週間に5日ここへ通って、10年をかけて生家の修理をしてきたんだとか。

2人とも大工経験はない。お兄さんが72歳で、弟の日野金俊さんは63歳だそう。

弟の金俊さんはこの生家の荒れていくのを心配していたそうだ。

定年になって、お兄さんと一緒に家を修理しようということになったらしい。

小学校2年生までここで家族と暮らしていたそうだ。ご両親がこの家を一度手放しているという。

その理由は、鉱山事業で採掘した土砂を捨てる場所として用地買収があったのだという。

40年前、しかし鉱山事業は計画が頓挫して、結局一度も使われなかったそうだ。

家は返還されたが、すでに一家は麓の生活に馴染んでいたため、その後30年間は空き家だったという。

人が住まない家は老朽化も早い。すでに倒壊寸前だったようだ。

弟の金俊さんは、建物が可哀想、家が哀れだと思ったのだという。

定年後、兄の米雄さんを誘って、一念発起、家の修復に乗り出したのだ。

お兄さんとともに、屋根、骨組み、土台にいたるまで、家の大部分を兄弟2人だけで10年を費やして修築したのだという。

たまたま今日は煙突の工事をやっていたのだ。

捜索隊は家の中に招じ入れられ、いろいろ見せてもらった。

驚いたのは、柱が下が白アリにやられて腐ってしまい、宙ぶらりんになっていたのを新しい木材をはめ込んでボルトで締めて直したということ。

ところどころ新しい木材を使って構造補強をしているのだという。

煙突は薪ストーブのためだったようだ。

しかし、すでに今年入れた新しい薪ストーブがあるのだが、2つとも使うのだそうだ。

今まで使ってきたストーブはご飯が炊けるのだという。

たしかに丸い五徳のようなものが外れて、お釜がピッタリはまるのだ。

料理がしたいから、と弟さんが言う。

玄関の奥には囲炉裏があった。

これも修復して、ご飯茶碗やお皿などを置けるようにしたのだという。

シンクやお風呂は麓の家の改築で出た古いものを持ってきて使っているのだそうだ。
すべて再利用しているという。

そして、ここまで修復して、大分終わりに近づいているけれど、終わったら昼間はここでのんびりして、夕方自宅に帰るという暮らしをするのだと言う。

ご兄弟2人は家の修築だけでなく、荒れた畑を耕し直し、大根、白菜、水菜など5種類を、2人で食べる分を作っているという。

まるで子供のころに戻ったようだと、ご兄弟は楽しげに笑っている。

また、元々は朽ちていってダメになっていくから、少しでも直そうと思ってやってきたが、段々欲が出てきて、終わりのない作業だという。

これからも自分たちで作って、料理をし、のんびり暮らすのだという。
亡くなられたご両親はきっと喜んでいるでしょうね、と畠山さんは感想を述べた。

林さんも言っていたけれど、本当に仲の良いご兄弟で羨ましいとさえ思いましたね。

香川県のポツンと一軒家

林さんは、スタッフは近場で済ませたと言っていたけれど、合理的でいいのでは? (笑)

衛星写真を見ると、畑が充実しているという所さんの感想は前にも述べました。

捜索隊は何故、この家に暮らし続けているのかという理由を聞いています。

ここに住んでおられたのは、上田(うえた)庄一さんご夫婦。

ここへ来る途中、捜索隊は道のきれいさに驚いています。

そのはずです。1.3kmの道は私道だそうで、故に行政のサービスがないから自分たちで掃除をしているとのこと。奥さんは7kgもある送風機をかついで1.3kmの道を1週間に1度は掃除をするそうです。

今は送風機があるからいいけど、昔は箒で掃いていたそうです。

荒らしてはいけないので世話をしているのだそう。

こちらでは高菜(万葉)、ほうれん草、柚子などを育てて出荷しているんです。

代々続く農家に生まれ、ご両親の愛情を受けて育った庄一さん。

ところが、庄一さんが7歳の時、庄一さんの弟が生まれた時、産後の肥立ちが悪く、お母さんが亡くなられたとのこと。

それからはお父さんの仕事を手伝い、母親代わりに弟の面倒を見て、家事をしてきたそうだ。

でも、お家は貧しく、どん底だったそうだ。

奥さんが出してきた大学ノートにはびっしりと文字が書かれている。

農作業と家事、弟の世話に追われ、小学校も満足に行けなかった庄一さんは、せめて文字の練習だけはしたいとノートに書いてきたものだ。

上田さんご夫婦がこの家を離れられない理由とは。

この家は庄一さんとお父さんが建てた家だそうで、昔はみんな自分たちで作ったよ、とポツリと庄一さんは言っていたが、なかなかそんなことは出来ないですよね。

築70年だそうです。お父さんと2人で築きあげたものだから簡単には捨てられないのだと言います。

庄一さんは当時11歳だったという。

「父親が基礎を作ってくれた家だから、生きている限りは守っていく」という気持ちなのだそうです。

そして庄一さんは誰よりも奥さんに感謝されていました。

この人がいたからここまでこれたという言葉は大変に重いですね。

ちなみに奥さんは80歳とは思えない若々しさでした。

香川県のポツンと一軒家には、山奥の不便さをものともしない固く強い夫婦の絆がありました。

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