去年あたりから私の実家の母は、ひっそりと終活を始めました。
その話は聞いてはいたのですが、具体的に何をどうするのか、ふと手伝ってあげなくていいのかしら? と思うようになりました。
お休みの日に、とりあえず、1人で実家に行ってみました。
その日、母はのんびりと着なくなった衣服の整理をしていました。
「こんまりさんの本を読んで感銘を受けたから、とりあえず、こんまりさんの言うように服から整理してみようと思って・・」
「こんまりさんか・・」今はアメリカで大活躍されている近藤麻理恵さんのことです。
「人生がときめく片づけの魔法」(2011年 河出書房新社刊)という例の片づけの本を書かれて話題になった方ですね。
終活しようと母を決断させたこととは?
どうやら仲良くしていたお友だちが亡くなられた時に垣間見た、その方のご遺族の戸惑いだったようです。
お葬式が済んで、落ち着いた頃を見計らって他のお友だちを誘って改めてご焼香に伺ったそうなんですが、その時に娘さんが話してくれたそうです。
「とにかくモノが多くてどこから手をつけていいやら。遺品整理ってこんなに大変だとは正直考えていなくて、全部捨てればいいんだから・・、と思っていたんですけどね」と苦笑されていたとか。
母はその時、自分の時のことを考えたようです。誰にでもやってくることなんですから。
その前から母は何かと使わないでしまってあったコーヒー茶碗のセットなどを、実家に遊びに行った帰りにお土産にと持たせるようになっていました。
それはたいがい戴き物でしたが、使う機会がないまましまってあったものです。
「もう、こんなものが幾つかあるから、兄ちゃんにも持って帰ってもらったよ」と笑いながら言うのです。
少しでもモノを減らしたいという母の希望もあって、ありがたく戴いて帰るのですが。
こんなことも、親から子へ伝えていかなければならない事柄に入るんですかね・・。
自分がいなくなった後、残された遺族が困らないようにという気持ちが強いみたいです。
今はとにかく、不用のモノを処分する時だとばかりに一生懸命片づけをしているのです。
見ていると、部屋のあるコーナーから1ケ所ずつ丁寧に仕分けをしています。
不用と判断したものは不用箱に入れています。いろいろなモノが出てきます。
それが全部終わったらエンディングノートを書くつもり・・、と言いながら。
ほんの片隅のコーナーからコツコツとやってきただけあって、何も置いていない場所もいくつかできていました。
聞いてみると、最初にやった片づけは子どもたちが置いていったもの、だったそうです。
いつまでもあるとついつい思い出にふけってしまって時間がなくなるからと、笑っていました。
不用箱も仕分けしながら箱に入れていくので、やっぱり時間がかかります。
可燃ゴミ、不燃ゴミと書かれた箱に母から受けとったゴミ候補を入れていきます。
終活で母はエンディングノートに何を書くのか?
考えられるのは最初に相続問題だろうと思います。
相続に関しては父がいるので、母が自分の残していくものを具体的には考えられないかもしれませんが、自分がいなくなった後、残る(かもしれない)父の後生を私たちに託す、ということが書かれるだろうと想像はできます。
エンディングノートとは何だろう? から。
文字どおり人生の終末記です。
いくつになったら書き始めるのだろうか?
文房具屋さんに行くとエンディングノートが置いてありました。
手に取って見てみると、最期の医療関係、医療に関する自分の希望(現時点での)や、年金、貯蓄、保険などの証書の在処。
親しいお友だちや知人の連絡先などの、家族が知っておかなければならない情報を記入できるページがあり、多分母はコツコツとそこを埋めていくのでしょう。
まだ、そんなことが考えられない年齢だと、頭では判っていても、何だか寂しさと悲しみが気持ちに迫り上がってくるのですが、母は淡々とそういう話をします。
自分自身の生まれた時から今日までの人生を振り返りながら、自分の思いを綴っていけるページもあります。日記帳ではないのですが、言ってみれば、自分の歴史を書き込んでいくことになるのでしょう。
どんな形で最期を迎えるかは分かりませんが、現時点では、医療関係の話ならば、母自身の両親の時の最期を希望するかもしれませんし、(母の両親は自宅で最期を迎えたと聞いています)あるいは家族の負担を考えるとそれはできない! と考えて病院での最期を望むかもしれません。そういうことも書き込まれると思います。
母は舅、姑の最期にも関わりましたから、余計に家族への思いは強いかもしれません。
だから、淡々としていてもやっておくべきことはやっておこう、と考えているのかもしれません。
まとめ
母の若い頃には終活という言葉もあったのかどうか・・。
義母も終活をしている、という話を聞いていました。
2人でそんな話でもしているのかと思いました。
終活しなきゃ! と思い始めるのには当然個人差がありますが、終活が頭に浮かんだ時、年をとったから、という訳でもなく、現代人の最近の生活環境も激変していてモノ1つ捨てるにもお金がかかったりするわけですから、母は、1つ1つゆっくりでいいから、手に入れるよりも、手にあるものに別れを告げようと考えたようです。