三社祭の見物&縁日&屋台を満喫したい!!

三社祭の見物は縁日や屋台を見て、
B級グルメの食べ歩きも楽しみのひとつですね。

ただ2016年からはお酒の販売はしていませんし、
飲酒は禁止されています。

少しばかり離れた飲食店で飲む分には、
大丈夫なんですけどね。

仲見世通りを直進して、
境内に入れば屋台がたくさん出ています。

仲見世通りは大変混雑していますが、
横道を一本奥に入ると、
仲見世通りと並行する通りがありますから、
そこなら歩けます。はい、それくらい混んでいますよ。

境内にはどんな屋台が出ているんでしょうね?

おなじみの綿あめや焼きそば、
東京下町の味、もんじゃ焼き。

イカ焼き、煮物、鮎の塩焼き、牛タン、
などのB級グルメはもちろん、
有名どころはほぼあります。

アンズ飴もこんな機会じゃないと目にしませんね。
私はこれが好物なんです(笑)。

小さい頃を思い出します。

思いっきり楽しんできて下さいね。

お土産も、御神輿のミニチュアや扇子など、和雑貨のお店は、
昨今は外国人のお客さんが立ち止まって、
いろいろ品定めしています。

屋台は夜8時くらいまでやっていますよ。

浅草神社例大祭の見どころは?

三社祭といえば神輿ですが、三社祭は浅草神社の例大祭です。

神輿って、御霊代がお乗りになる輿のことで、
祭りの期間は氏子たちが担いで各町内を練り歩きます。
総勢100基の神輿です。

神様に町内の隅々まで見ていただくってことですね。

浅草神社の御神輿は3基あります。

一之宮、二之宮、三之宮で、
それぞれに神様がお乗りになります。

土師真中知命(はじのまつちのみこと)、
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)、
檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)の三柱です。

戦前は、徳川家光公より寄進された神輿が3基と、
保存のために造った3基、
氏子町会寄進の1基を含めて7基の神輿があったのですが、
東京大空襲で焼失してしまいました。

現在の神輿は昭和25年に一之宮、二之宮が奉納され、
三之宮は昭和28年に奉納されたものです。

一之宮の神輿は鳳凰が飾られています。
他の2基には擬宝珠(ぎぼうしゅ)が飾られています。

今の神輿を激しく揺さぶる担ぎ方は、
戦前にはあった四之宮の神輿が軽かったためで、
担ぎ手が派手に揺らして担いだのが始まりだと言われています。

当時は暴れ神輿と呼ばれていたのだそうです。
7基の神輿が今あったら、
ますます三社祭は混雑していたでしょうね。

三社祭の見どころは神輿の渡御だけではありません。
神輿そのものが美しく立派です。

舞も、祭り装束に身を包むいなせなお兄さんやお姉さんも、
江戸時代から続く木遣りも、三社祭に沸く浅草の街も、
祭りまるまるが見どころなんですよ。

三社祭の歴史

三社祭の歴史は、遡ること正和元年、1312年のことです。

船祭りが初めに行われたといいます。
3月17日、18日の2日で、1年おきに本祭りがありました。

江戸時代の祭りは、大祭の前の晩に、
観音本堂の外陣に神輿を備えていました。

びんざさら舞を本堂前の舞台で奉納するのも、
現在の三社祭に近いです。

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当時は観音祭りや浅草祭りで通っていたようですよ。

観音様の縁の数は18であることから、
縁日も18日です。そして、
昔の氏子も18ヶ町ありました。

各町はそれぞれ趣向をこらし、山車を繰り出し行列を作り、
勢いや、艶やかさ、絢爛さを競う趣向で、
御神輿を担ぎまわるのを見せ場としたのは後のことです。

今のかたちになったのは明治5年からで、
5月の2日間に行われるようになりました。

まとめ

浅草浅草寺の雷門は、とてもインパクトがありますよね。

浅草神社はその浅草寺のそばにあります。
つまり同じ敷地内にあるのです。
何故か?

大変簡単に説明しますと、

浅草寺は推古天皇36(628)年に、隅田川で漁をしていた2人の兄弟が見つけたことがきっかけとなり始まりました。

兄弟はこの仏像を当時の物知りである、土師真中知に見せて相談しました。

土師真中知は「観音菩薩」であると見抜き、それを聞いた兄弟は一心にこの観音様に祈念するようになりました。

そして、教えた土師真中知(はじのまつちのみこと)はお坊さんになって、自宅に観音菩薩を祀り、これが浅草寺の始まりと言われています。

その後、真中知の子が父の没後、夢のお告げに従って、父と兄弟を神として祀り、浅草神社が始まったと言われています。

現在、浅草神社ではこの2人の兄弟、檜前浜成命、檜前竹成命(前出)を神さまとして祀っているのです。

浅草寺も浅草神社も初めは一緒だったのですが、明治に入って神仏分離となったのです。つまり浅草寺とは別の法人になり、三社明神社になり、明治6年に「浅草神社」に改められました。

浅草は三社祭の街のイメージも強いのですが、
コメディアンの聖地でもあるんです。

昔の浅草には寄席や、劇場がたくさんあったんですよ。
フーテンの寅さんは浅草でしょ! いえそれは勘違いです。

寅さんの生まれは葛飾柴又、帝釈天がゆかりの地です。
よく間違える人がいるんですよ。

浅草ゆかりの方は渥美清さんです。
寅さん=渥美清さんになっちゃったので誤解されてるのかなぁ。

ビートたけしさんや、浅草キッドさん、その他、
たくさんの芸人さんの手形がオレンジ通りに飾られいます。

実はこの手型の一号は美空ひばりさんなんですよ。

オレンジ通りは仲見世通りの二本先の通りですから、
足を伸ばしてみて下さい。

浅草演芸ホールは365日休まず営業しています。
落語や演芸をいつでも見られる、
都内の寄席定席4つのうちのひとつです。

また浅草東洋館は、浅草フランス座で通っています。
渥美清さんもビートたけしさんもフランス座ゆかりの芸人さんです。

ほかにも東八郎さんや萩本欽一さんも、
フランス座ゆかりの方たちなんです。

色物を上演する都内唯一の演芸場です。
色物とは、落語以外の演芸なんです。

浅草は観光スポットがたくさんありますから、
ぜひ満喫してきて下さいね。

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